2009年3月8日日曜日

Film grain

◆Nikon Nikomat FTn: NIKKOR-S/C Auto 50mm f/1.4s
●f2.8, 1/125, マニュアル露出, 中央部重点測光, FUJIFILM SUPERIA Venus, ISO:400
●Development by KONICA MINOLTA "DiMAGE Scan Dual III"

 「Nikomat FTn」 を近所のリサイクルショップで購入。なんと40年前のカメラ(1967年製)。内部をキレイに掃除して、露出計用のボタン電池を換えようとしたら、これまたなんと水銀電池(MR9 H-D)(1.33V) が入っていた。調べてみたら現在入手不能。さすが40年。電池の規格も変わってしまうのか。もっと調べてみると、酸化銀電池(SR43)(1.55V)のサイズを合わせ、電圧まで調整するアダプターが存在することがわかったので即、注文。届くのを待ってるあいだに今度は別のリサイクルショップで、コニカミノルタのフィルムスキャナー「DiMAGE Scan Dual III」を発見、即、購入。深くは考えない(笑)。流れですよ、そういう「流れ」なのだ。 とにかく、これで今まで疑問に思っていた「現像に出して、30分仕上げの同時プリントLサイズを普通に等倍スキャン」とは別次元のことができるようになったのだ。デジタルで言うと、「RAW現像」にあたるだろう。そもそも「RAW現像」自体がフィルム時代の「現像」に相当する、としての呼び名であることを考えるとおかしな話だ。
 昔と今の狭間で、こんなことが出来ることを幸せに思う。40年前という時代に一眼レフを持てたか?、モノクロの現像は自前で出来ても、カラーで自分の表現が出来るところまでは難しかっただろう。最新のデジタル一眼にもいろんな意味で手が出ない。今だからフィルムのカメラやレンズを安価で手に入れられる。型落ちのフィルムスキャナーも同様である。 何を幸せに思うのかというと、単に安価ということではない。僕はどうやら一昔前のものがしっくりくるようである。特に機械とは「対話」が出来る気がするのである。最新のカメラのカタログを見れば見るほど「これは子どもが出来てからだなぁ」と思う。しかし、その頃には「二度とない瞬間を素早く、美しく、簡単に」ということにも興味をもつようになって、それでもマニュアルフォーカス、マニュアル露出のフィルムカメラを操っていられたらさぞカッコイイだろうなと想像してニヤつくのである。

 写真中央のカメラはモノモチのよい母が「あんたの小さい頃の写真は全部これで撮ったんだよ」という 「Kodak INSTAMATIC 133-X (1969-70年頃、英国製)」で、これまた40年モノ。正方形のフォーマットで、フィルムは"インスタマチック-126フィルム"という日本ではもう手に入らないもの。